この題名をご覧になった諸兄姉の中に、
『この筆者は頭が本格的にどうかしている』
あるいは、
『このたわけは一体何を言っているんだ』
もしくは、
『このうつけが!ブログを何だと思っている!』
との感覚をお持ちになった方はおられるだろうか。
もしそんな諸兄姉がおられたとすれば、
畏れながら、
無礼を承知で、
このように申し上げたい。
その感覚は圧倒的に正しい。
何せ筆者自身、
自身の頭はどこかどうにかなってしまっている自覚があるし、
何を言っているのか自分自身でも全くつじつまが合わぬし、
ブログを馬鹿にしていると思われても仕方がないと覚悟はしている次第だ。
わけても胸に刺さるは、最後の指摘である。
翻って考えるに、ブログとは何かしら有用な含意を持つべきである、と筆者は夢想する。
というのも筆者は普段、はてなブログのトップページからログインをするわけだが、そのトップページにはいくつかのおすすめ記事が表示されている。
編集時の今もふと目をやると、
『昨今の国際情勢に関する意見・考察』
『新書に関する辛口書評』
『そもそも、デザインとは何か?』
『タピオカミルクティーがブームです』
『虎屋の羊羹』
等々。
その題名からして、明らかに有用であると察せられる記事が揃い踏みだ。
いかに辺境ブログとはいえ、やはり筆者としてもこれらのように含蓄に富んだ何かを書き上げてみたいものである。
しかし実際、わが身を顧みればどうだろうか。
海外にいながらも国際情勢にはどうにも疎いし、
このところ新書は読んでいないし、
デザインのいろはを知らぬ愚鈍であるし、
タピオカミルクティーも滅多に飲む機会がない。
虎屋の羊羹に至っては、筆者の逼迫した懐事情がそれを断固として許さない。
含意に富む記事を書く機会も、文才もない。
その厳然たる事実にある種の絶望感を覚えつつも、しかしさらにページをスクロールした、その先には。
はてなブログ運営より与えられし、まさに天啓にも等しい御言葉があるではないか。
つまり、おすすめ記事にあるような有用な記事が書けないならば、はてなブログ運営のおすすめに従って書いてみよう、というアプローチが残されているという事である。
「今週のお題」に設定されているほどであるし、恐らくこれは求められているトピックなのだろう。
何より、ミシガンの短い夏は既に終わりを告げ、昨今は朝方に秋の冷え込みを感じるほどだ。
短い夏を振り返るには絶好の機会とすら感じる。
そうして筆者の今年の夏を振り返ってみると、
様々な場所で、
方々で、頻繁に、
店員だと勘違いされた。
誓って言うが、筆者は純粋に日本生まれにして日本育ちの日本人である。
よって、別に見た目がハーフのように彫りが深いわけでもない。
育ってきた環境も極めてドメスティックであるからして、挙動も至って日本人らしい(はずだ)。
上背があるわけでもなく、はたまた体を鍛えているわけでも、太っているわけでもない。
多くの米国人からすれば、『小柄な日本人』以外の何者でもないだろうし、
あるいは日本の女子高生に喩えさせれば『おっさん』以外の何者でもないだろう。
実際、昨年の夏は日本で過ごしていたわけだが、店員に間違われるような事は全くなかった。
そもそも昨年に限らずとも、店員に間違われたこと自体ほぼない。
ところが今年、ミシガンの夏はどうか。
スーパーマーケットでも、土産物屋でも、果てはカジノ内ですらも、
「あなたここで働いている人?〇〇探してるんだけど。」
と問われたものだ。
特に先日記事で触れたアンティークショップなどは傑作で、1時間かそこいらの滞在時間に3回も尋ねられたほどだ。
それも向かいの廊下に、明らかに店員と思しきカウボーイ風の格好をした壮年男性がいるにも関わらず、である。
そういえばカナダのカジノでもスロットの位置を複数回聞かれた気がするが、思い返せばあれも店員だと思われていたのかもしれない。
間違われ始めた当初こそ、
「米国に住んでいる人は、店内で視界に入った人を店員認定しがちなのだろう」
などと根拠のない筆者お得意の憶測を立てていたものだが、先のアンティークショップ内3回店員認定事件を経て、ここにおいて愚鈍なる筆者もさすがに違和感を感じたわけである。
これはちょっと変なのではないか?と。
そこで事務所のメンバーの中で最も
"What can I do for you forest peanuts?"
といった類の科白を言い慣れていそうに見えるケニア出身のスタッフに、
「米国では店員に見間違えられるのはよくある事なのか?」
と訊けば、
「いや、そんなにない。少なくとも俺はないな。」
と。
つまりここにおいて、この自体が発覚したというわけである。
ダメ押しに女性陣にも同じ質問を投げると、
「いや、そんなことはない。」
と一蹴である。
そしてどうも、その話題は彼らにとって面白いものだったらしい。
その後、業務中にも関わらず議論が及んだ彼ら彼女らの推論を引用すると、どうも筆者がやたらと間違えられるのは、筆者の
『服装の問題』
なんではなかろうか、という結論が出たようであった。
しかるに、筆者のがこの夏を振り返るならば、
どんな服装をしたら、ミシガンで店員に見間違われることができるか?
これを説く以外に道はないという事である。
既に退路は断たれた。
店員に見間違われるための夏ファッション5か条
トップス
ボトムス
シューズ
アクセサリー
その他
トップス
店員に見間違われるためには、襟付きのシャツを着用すべきである。
筆者は偏屈なため、私服でもほぼシャツしか着用しない。そのため店員に見間違われた時も、例外なくシャツを着用していた。
ただいずれの場合も私服用の着丈短めのシャツで、タックインはしない方が良い。
腕まくりの有無は周りの気温によって調節して良い。
また、柄は強すぎない方が良い。
ボトムス
店員に見間違われるためには、カラージーンズを着用すべきである。
筆者は偏屈なため、私服でもほぼカラージーンズしか着用しない。そのため店員に見間違われた時も、例外なくカラージーンズを着用していた。
ただし色としては暗めの色、例えばネイビーやブラックが良い。
シルエットは細身の方が良い。
シューズ
店員に見間違われるためには、革靴を着用すべきである。
筆者は偏屈なため、私服でもほぼ革靴しか着用しない。そのため店員に見間違われた時も、例外なく革靴を着用していた。
ただし形はあまり問題ではないようで、プレーントゥでもカントリーシューズでも、ローファーでも問題ない。色は茶系あるいは黒が良い。
アクセサリー
店員に見間違われるためには、革ストラップの腕時計を着用すべきである。
筆者は偏屈なため、私服でもほぼ革ストラップの腕時計しか着用しない。そのため店員に見間違われた時も、例外なく革ストラップの腕時計を着用していた。
ケースの形はラウンドでもレクタンギュラーでも問題ないが、アナログ文字盤である必要がある。手巻き時計であると尚良い。
例外として、質素に過ぎるかやや寂しい場合は簡素なアクセサリー程度は許されるようだ。
その他
店員に見間違われるためには、手ぶらを着用すべきである。
筆者は偏屈なため、私服でもほぼ手ぶらしか着用しない。そのため店員に見間違われた時も、例外なく手ぶらを着用していた。
要するにバッグの類は持ってはならない。小さなボディバッグなども不可である。
以上が
夏のミシガンで、店員に見間違われるための夏ファッション5か条
である。
最後に、実際のコーディネート例を2つほど示しておこう。
アンティークモール内で1時間に3回店員に見間違われるかもしれないコーディネート
カジノで道案内を求められるかもしれないコーディネート
また経験上、店員に間違えてくれるのは壮年期以降のマダム層が多いが、初老に差し掛かったムッシュー層の場合もある。
よって、同じ服装でより効率的に間違えられるためには、それと思しき対象の近くを彷徨うようにすれば、単位時間当たりの見間違え率が上がる事請け合いである。
はて。
はてなブログ運営のおすすめに従って書いたはずなのだが、結局生まれ出でたのは平生に輪をかけて何の慰めにもならない記事であったとは、何ともやるせないものである。
Raretsu