その解明に至るまで数多くの人々を惹きつけ、多くの年月が費やされた問いというのは、人類史上いくつか存在する。
例えばフェルマーの最終定理などはその典型例だといえるだろう。
3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない
という一見するとシンプルな定理である。
そしてこれを証明するのに数多くの数学者が挑みかかったにも関わらず、完全な証明を見たのはなんとフェルマーの死後360年も後であった、という曰く付きの定理である。
愚昧たる筆者には皆目見当もつかないが、数多くの数学者が惹きつけられたのを見るに、ある意味では魔性の定理と形容できるのではないかと憶測すらするものだ。
また、現代で言うならばリーマン予想などだろうか。
筆者は愚昧なので委細は漏らしているが、素数に関する何かしらの予想だそうである。
証明が完了したとか未検証であるとかの情報があるようだが、筆者のような愚昧もその名を聞いたことがある時点で、かなり多くの人を惹きつけてやまない予想なのだろう事は伺える。
さて。
これら2つの例は言うまでもなく、重大な定理である。
しかしこの日本に生まれた日本の筆者としても、この2つに比肩するほど重要な…いや、日常生活で普通に検索しうるという意味では更に重大と言っても過言な、とある問いを、今宵こそ、是非とも詳らかにしたいと愚考している。
その問いというのは、
まさしく、
結局どちらが”真のブランパン”なのか?
というものである。
ブランパンと、ブランパン。
そう。
いずれも並び立つブランパンである事に違いはないのだが、しかし一体どちらが真のブランパンなのかということについては、これまであまり議論がなかった。
と言うより、どこぞのきのこたけのこ論争よろしく、触れてはならない類の、争いが避けられぬような問いなのではなかろうかと憶測するほどだ。
しかしながら、このブログではかつて題名に『ブランパン』とぶち上げていた以上、避けては通れない問いとすら言えるからして、事ここにおいて触れることを妥結した次第である。
さて。
勇み足で踏み込めば地獄を見るほどセンシティブな問いである事からして、効果的な手法を的確に用いなくてはならない。
しかし効果的な手法を的確に用いることほど困難な事もそうそうあったものではない。
たとえば「発微算法」の著者として知られ、今でこそ和算の開祖、日本最高の数学者として名高い関孝和も、天元術で用いる算木の役割を紙上でまかなうという実に画期的な思考にいたるまでの過程で、それこそ星の数ほどの手法を勘案したことだろう。
後に大成した点竄術の完成度を目の当たりにすれば、その苦心の程も窺い知れるというものだ。
ところでこの関孝和も、天元術というベースをもってして点竄術の完成を見たわけである。
となれば愚昧の子たる筆者としてもそれに倣い、既にある2学派双方の主張を勘案し、どちらにより合理性が見られるかを判断するのがひとつの手だろう。
なおここで言う2学派とは、
ブランパンこそ”真のブランパン”と主張する学派
と、
ブランパンこそ”真のブランパン”と主張する学派
の2つである。
なお二つの学派の名前がやや紛らわしいので、以降
ブランパンこそ”真のブランパン”と主張する学派
の言い分は青色でブランパン学派、
ブランパンこそ”真のブランパン”と主張する学派
の言い分は赤色でブランパン学派、
にて表記を試みる。
この2学派について、いくつかの設問に対する双方の主張をなるべく平等に鑑みるように心がけることで、愚昧なる筆者でも少しは公平な判断ができるよう試みた。
それではそれぞれの設問における、双方の主張や反論を吟味していきたい。
1. Google検索結果における”真のブランパン”
設問:単に「ブランパン」とGoogle検索を行った場合の結果が以下である。これを見て、どのように主張するか。
ブランパン学派の主張
およそ400万件ものヒットのうち、その頂点たる一番はブランパンの公式サイトである。右手に出ているWikipediaの結果もまた然り。これは、ブランパンこそ真のブランパンであることに他ならない。
ブランパン学派の反論
確かに一番上はブランパンの公式サイトだが、1ページ目のそれ以外の検索結果を見ると、ブランパンに関するページが大半を占めている。1番目がブランパンだからと言って、真のブランパンがブランパンであると決めつけるには早計である。
2. Google画像検索による”真のブランパン”
設問:単に「ブランパン」とGoogle画像検索を行った結果が以下である。これを見て、双方どのように主張するか。
ブランパン学派の主張
表示の順位を見れば明らかに、ブランパンが大勢を占めている。これは、ブランパンこそ真のブランパンであることに他ならない。
ブランパン学派の反論
確かに最初の表示はブランパンを示すものが多いが、少しスクロールすればこのようになるページもある。最初にブランパンが多いからと言って、真のブランパンがブランパンであるとこじつけるのは稚拙と言わざるを得ない。
3. 英語表記における”真のブランパン”
設問:それぞれの「ブランパン」を英語表記にすると、それぞれ"Blancpain"、"Bran Bread"となる。これを見て、双方どのように主張するか。
ブランパン学派の主張
ブランパンでもBlancpainでも、読み方はブランパンである。一方、Bran Breadの読み方はブランブレッドになり、日本化したならふすまパンと、もはや明らかにブランパンではない。これは、ブランパンこそ真のブランパンであることに他ならない。
ブランパン学派の反論
確かに大まかに見ればそうだが、厳密な発音を考えれば日本語と英語で異なる。そもそもBlancpainの綴りを初めて見たなら、ブランクパインとでも読んでしまうかもしれない。いずれにしても多少発音が似ているからと言って、真のブランパンがブランパンであると持っていくのは強引に過ぎる。
4. 歴史における”真のブランパン”
設問:それぞれの歴史的観点から、自らの正当性を主張せよ。
ブランパン学派の主張
ブランパンはパンの1種であるが、パンの起源は約1万年前に遡ると言われている。対してブランパンはせいぜい1735年創業という極めて浅い歴史しかない上、存続していたのかやや怪しい時期もあるというではないか。これは、ブランパンこそ真のブランパンであることに他ならない。
ブランパン学派の反論
パンは確かに歴史が古いが、ブランパン自体は健康志向が強まった近代にできたものでないか。そもそもこれはブランパンに対する設問なのだから、パンの威を借りながら真のブランパンがブランパンである、と持っていく姿には失笑を禁じ得ない。
5. 由来における”真のブランパン”
設問:名前における観点から、自らの正当性を主張せよ。
ブランパン学派の主張
ブランパンの名前の由来は、創業者ジャン=ジャック・ブランパン (Jehan-Jacques Blancpain) から頂戴している事になる。創業者に対して敬意を表すのは当然であり、単なる分類名とは一線を画する。これは、ブランパンこそ真のブランパンであることに他ならない。
ブランパン学派の反論
ブランパンとは、ブランのパンなのである。名は体を表すというが、まさしくその通りなのだ。そもそも、ジャン=ジャック・ブランパンなど誰も知らないだろうからして、それを恃みに真のブランパンがブランパンである、といった持論を展開するなど烏滸がましい。
6. 知名度における”真のブランパン”
設問:知名度の観点から、自らの正当性を主張せよ。
ブランパン学派の主張
一般にブランパンと聞けば、多くの人はコンビニで売っているブランパンを想起するだろう。テレビ等で広く市井に紹介されるのも、ひとえにブランパンである。これは、ブランパンこそ真のブランパンであることに他ならない。
ブランパン学派の反論
確かにブランパンの一般知名度は低いが、その反面で一度知ってしまうとやみつきになるという側面もある。テレビ等のような既に公平性を失って久しい媒体を拠り所にし、真のブランパンがブランパンである、と主張する論法はどうにも片腹痛い。
7. 外観における”真のブランパン”
設問:それぞれの外観的視点から、自らの正当性を主張せよ。
ブランパン学派の主張
このブラウン味を帯びた表面、そしてふっくらとした切断面。実に美しく、そして近年は更に細かやかに、柔らかに仕上がってきている。これこそまさしく真のブランパンである。
ブランパン学派の主張
この艶やかなオーパリン文字盤に刻まれたギョーシェ、そしてクラシカルなダブルステップのベゼル。実に美しく、そして近年では更にグラン・フーをも実装し艶やかに仕上がってきている。これこそまさしく真のブランパンである。
8. Rakuten Global Marketにおける”真のブランパン”
設問:これはRakuten Global Marketにおけるブランパンの画像である。これを見て、どう思うか。
ブランパン学派の主張
これは、紛れもない真のブランパンである。
ブランパン学派の主張
これは、紛れもない真のブランパンである。
以上、多くの設問を通して双方の主張を探ってきたが、8つ目の設問にしてついに、平行線だった双方の主張が合意を形成した。
よって愚昧なる筆者はここにおいて、真のブランパンは
”Rakuten Global Marketにおけるブランパン”
であると憶測されると、力強く宣言するものである。
この記事における単語『ブランパン』の使用回数:96回
しばらくは、ブランパンについてもう何も考えたくない。
Raretsu