モノ魔リスト

モノ魔リスト

必要ではない。だがよく考えてみると、たしかに必要ではないようだが愛すべきモノたち。

飛行機とニートと養鶏場

 

筆者は仕事柄出張がたまにあり、しばしば長距離の移動をすることがある。
日本国内であればもっぱら新幹線での移動だが、国境を超える場合は自然と飛行機になるし、米国駐在時は新幹線など無いわけで、飛行機移動が必然的に増える。

 

つまり飛行機にはそれなりに乗る機会があるのだが、乗れども乗れども一向に慣れない。特に長時間の国際線は居心地がどうにも良くない。

慣れないと言っても、高いところが苦手とか飛行機そのものが苦手とか、時差ボケがつらいということではない。あるいは機内食やクルーの対応に文句があるとか、座席の狭さに不満を言っているわけでもない。

 

慣れないのはあの空間というか、環境そのものである。

 


飛行機の中では、たとえエコノミーであれ事あるごとにお手拭きをくれたり、ドリンクやスナックのサービスなどが存在する。長時間の国際線ともなれば機内食のサービスもあるし、加えて適宜軽食が提供されたりもする。
しかも多くの機体には一人一人目前にディスプレイが配備されており、搭乗中にフライト情報を見たり、オーディオを聞いたり、果ては映画まで見ることさえできてしまうのだ。ファーストクラスには残念ながら縁遠いが、恐らく想像を絶する酒池肉林を体現したかのようなサービスが待っているのだろう。

 

そしてこれこそ、筆者が苦手としているものである。


もちろんこれらのサービスが、空の旅を快適にするためにあることは重々理解している。また、それらが航空会社やクルーの方々の腕の見せ所でもある事も理解している。そして乗客側も、それらのサービス込みでチケット代を払っているのだから、それを享受すべきというのも筋が通る。

 

しかしそれらをすべて勘案した上でも、どあのうにもこのスタイルのサービスへの苦手意識が払しょくできない。
恐らく原因は『自分からは何も行動しなくてOK』というところかもしれない。

 

 

今から十年以上前、日本で『ニート』なる言葉が流行った時期がある。
ニートはもともとイギリスで興った言葉らしく、"Not in Education, Employment or Training"の略称との事である。もともとの意味合いはやや異なるようだが、日本では『働く意欲のない無気力な若年層』の総称として使われることが多い。
そして彼らの多くは実家で両親と同居している場合が多いようだ。
もちろんそれぞれ事情はあるだろうし、全てのケースを否定する気は毛頭ない。
しかしながらどうあれ、大雑把にNEETを表現すれば『自ら動く気のない者』として分類できてしまうわけである。

 

そして機内における筆者は、この『自ら動く気のない者』、つまり巷で言うNEETの姿を体現してしまっている気がしてならないのだ。

 

例えば、一番わかりやすいのは機内食である。
一般的には前の方の座席からカートがやってきて、チキンがいいかサーモンがいいか、等を聞かれて食べたいものを選ぶ。
食べ終わった頃を見計らってクルーがごみを回収しに来て、立て続けに食後のコーヒーなんかを提供してくれたりもする。


この一連の食事の提供から回収まで、乗客からすれば座席から立つこともなく完了するわけであって、することといえば食べる事だけなのだ。
しかもその最中に映画を見る事だってできる。ゲームをしながら食事する人もいるのかもしれない。
その様はまるで実家の自室に籠って、母親から出される食事を食い散らかしてエンタメを無造作に消費しているNEETのような(筆者の妄想に過ぎないかもしれないが)、そんな気分になってくる。まあここまで妄想できれば大したものかもしれないが、とにもかくにもその種の感覚が鎌首をもたげてならぬのだ。

 

更に言えば、そういうサービスを受ける人々が、同じ機内には沢山いるということになる。
であれば、連なって順繰りに機内食が運ばれてくる様は、さながら若かりし頃に見たあの養鶏場の光景にすら重なるような気さえしてくる。となるとこの機体が着陸する頃には、わが命が刈り取られ出荷される運命にあるのかもしれない。それはそれで乙かもしれぬ。


などと、ゆく当てもない妄想を膨らませながら検疫所への申告書を書く筆者には、ウィルスに抗う活力がまだありそうだ。