モノ魔リスト

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必要ではない。だがよく考えてみると、たしかに必要ではないようだが愛すべきモノたち。

4月17日に体験せし羽田空港での検疫状況

 

中国の武漢に端を発し、爆発的な広がり方を見せるコロナウィルスの脅威を受け、ミシガンから帰国便に飛び乗ったのが4月16日。デトロイトからシアトル、そしてシアトルからの乗り継ぎ便で羽田へと降り立ち、ついに羽田の検疫にたどり着いた。これが役に立つかどうかはともかくとして、いかんせん手持ち無沙汰なので状況についていくらか垂れ流してみる事にする。

なお検疫に関する動画や写真、録音等はNGとアナウンスがあったため、その手の画像や映像・音声による記録は一切取っていない。

つまり、ここにあるのは筆者の残念な文章のみである。非常に残念だ。

 

 

17日 13時頃

空席率80%を数えようかという威容を呈するシアトルからの乗り継ぎ便を経て、ようやく羽田空港へ到着。到着後はいくらか機内で待機した後、日本へ入国する諸兄姉は全員検疫を実施すべく専用の待合室へご案内。ちなみに預け荷物はすぐには受け取れず、追って航空会社のスタッフが届けてくれるということらしい。それなりに広々としたスペースで、同じ便に乗っていた諸兄姉は全員まとめて説明を受けるようなイメージであった。

ちなみに日本に入国せず国際線の乗り継ぎをする諸兄姉には、検疫は処されないようだ。そのまま別ルートで乗り換えができるらしい。

 

14時頃

やや上がり気味の検疫担当官より、検疫には1日ないし2日程度かかることを説明された。公共交通機関なしに自宅へ帰れる諸兄姉に関しては、自宅で結果を待つという選択肢はあるようだが、それ以外の諸兄姉は結果が出るまで残らず空港内で待機という旨が説明された。仮に自前でホテルを予約していても、陰性であることが確認されるまでは外に出せないということである。またよしんば陽性が出たなら、ホテルの代わりに指定の病院へ担ぎ込まれることになるようだ。

ちなみに筆者の場合は駐在帰りなので、事前に宅急便で家財道具一式を送っている。この場合、別荘荷物として税関に立ち寄って申請をしなければならないのだが、検疫が済んでいない状況では税関に立ち寄る事ができない。従って、この申請も検査が終わるまではお預けである。

 

余談だがこの時点では日本への入国審査も行っていないため、日本にいるわけでも米国にいるわけでもなく、まさしく狭間に漂うような状態である。例えるならば、ちょうど映画のターミナルのような状況と言えようか。

壁工事の仕事を請け負う事もできなければ、年齢詐称美人CAとのデートのため、ヒューゴボスでスーツを調達することもできないのは残念だが。

eiga.comなお当たり前ではあるが、万が一パスポートをなくせば間違いなく面倒なことになるので、その点は気を付けたい。

 

15時頃

説明が終わると、場所を移して検体の採取が実施された。丁度インフルエンザのそれと似たようなもので、採取自体はすぐに終了する。検査官の物腰の柔らかさと、迷彩ボトムスが印象的であった。そこから検査待ちの諸兄姉は、指定された待機場所へと移る。

以前はこの検査待ちの諸兄姉に対して、国で用意したホテル等が斡旋されていたようだが、どうも検査対象人数の増加によりそれも叶わなくなったようだ。指定された待機場所というのは、いわゆる搭乗ゲートのひとつである。

さすが羽田空港だけあって海外の搭乗ゲートに比べれば格段に綺麗だし、広さもそれなりにあるが、だからといって泊まりに適している場所かというと、いかんとも首肯しがたいのが本音である。聞くところによれば成田空港でも似たような状況らしいが、今この時はどうなのだろうか。

この待機場所にはペットボトルの水が用意されており、これは自由に持って行って良いとのことである。この水が非常災害用の5年間保存水だったのだが、これこそ今の状況を最も正しく形容しているようにも思えた。今回のすべての発生源である中国においては、嘘か誠か収まったと聞いているが、日本を含めた多くの国では今なお、掛け値なしに非常事態なのだ。

他には清涼飲料水とスナックの類の自動販売機がいくつか、あとは誰も使っていなかったがマッサージチェアが2基あった。当たり前だがトイレはある。

 

17時頃

次第にあたりが暗くなってきたころ、毛布の貸し出しがあった。見たところ、一人一枚は十分に数がありそうであった。ポリ100%の感触を存分に味わいつつ、長い夜をいかにして迎えるかの算段を立て始めた頃。

 

18時半頃

航空会社のクルーより、預け荷物の返却が行われた。到着からおよそ5時間後といったところか。米国で購入しておろしたばかりのThule Revolveだったこともあり、何にせよロストせずに一安心である。

 

19時頃

突如としてアナウンスが入る。2日はゆうにかかり3日をうかがうかもしれぬと思われた試験が、なんと残り1時間もすれば完了しそうだとの事。理由はよくわからなかったが、その場にいた全員に安堵という名の電流が走ったのは言うまでもない。

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言葉を交わさずとも分かるというものだ。

 

20時頃

ちらほらと同便搭乗諸兄姉たちの名前が呼ばれ始め、ほどなくして筆者も呼ばれる。結果は陰性とのこと。この結果を受けて、入国審査へと進むことができるようになった。ホテルへは公共交通機関が出せないため、国側が用意したシャトルバスに距離を離して乗車し、最寄りエリアまで運んでくれることになった。

筆者を含む駐在帰りの諸兄姉は、既に米国から送っている別荘荷物の処理のため税関で課税品目の申告および宅配便委託の処理が必要であるが、それが終わるまでバスは待機していてくれた。

 

21時頃

別荘品の処理を終え、バスへと搭乗。どの諸兄姉も空港近くのホテルを手配していたようで、それほど時間はかからなそうだった。筆者のホテルもほど近く、22時頃にはチェックインできた。会社手配のホテルは近年まれにみるほど手狭で、人生最初の独房入りを体現してしまったかと一瞬思ったほどだが、何にせよベッドで就寝できるのはありがたい。文句も言うつもりは毛頭ない。喜んで独房のベッドで寝よう。

また、時間を早めて対応してくれた検疫担当のスタッフたちの努力に感謝するほかない。

 

 

筆者の残念な文章でお送りした検疫状況であるが、結果として約半日で入国までこぎつける事ができた。当初2日ほどかかるとされていた検査が早めに終わった理由はよくわからなかったが、あの待機場所で待機するのは単純にしんどい故、それら諸兄姉については可能な限り優先的に実施しているという話は事前にあったため、そのあたりの配慮によるものかもしれない。

とはいえこの辺の状況については刻刻と状況が変わるであろうから、半日で終わったのは文字通り僥倖と捉えた方がいいのだろう。

 

基本的に帰国者の諸兄姉、特に駐在や出張帰りらしい諸兄姉は、検査前後でも非常に落ち着いておられる方が多かった。状況はそれなりにシビアではあったが、米国でのコロナ状況も目の当たりにしているためか、これらの検査が必要な事であると身に染みて理解しているというところであろうか。

1点気になったのは、そろそろ老齢に差し掛かろうかという女性が、検疫担当の女性スタッフにやたら強くあたっていたことだ。ある時には制止を振り切って突っ切ろうとしているシーンも見られたほどであった。恐らく状況が理解できていないのだろうが、あの手の惨めな年の取り方だけはしたくないものだ。

ひょっとすると、あの手の乗客が多いがゆえに検疫時間が伸びてしまっているという側面もあるのかもしれぬ、と愚考する次第である。担当スタッフと少し話した際にも、本日急遽増員で入ってきた方もちらほらいたようで、かなり切迫した状況を感じたものである。

何にせよ日を追って悪化する状況の中、連夜遅くまで詰めているであろう現場スタッフの諸兄姉には頭が上がらない思いだ。

 

 

※この状況はあくまで筆者が体験した個別のケースであり、他のケースに当てはまるものではありません。現在では既に体制が変わっている可能性があり、結果的に役に立たない可能性があります。個人的には一刻も早く状況が落ち着き、この情報が完全に役に立たなくなる事を切に願っています。

 

 

余談だが、検疫対応中にスタッフから「次のお客様~」と呼ばれた時、不覚にもちょっと笑ってしまった。彼らは航空会社のクルーではないから、我々をお客様と捉える道理はあまり無いようにも思うが、これも気遣いのひとつであろうか。