神話
『1年も英語圏に住んでいれば、英語がペラペラになる』
とかいうふざけた神話を未だに信じている人は、流石にこの2020年にはいないだろう。
しかし、
『日系企業の駐在員として、米国で6年間働いていました(自信に満ちた顔)』
という人がいたら、「この人はきっとペラペラだ」と思う方は未だにおられるのではないだろうか。これはつまり、「仕事で英語を使っているわけだし、それを6年間も続けていたならば、さぞ上達していることだろう」という安易な想像に基づくものだ。
これについて筆者の見解を述べるならば、これは
先の神話を上回るほど、大変にたわけた神話
である。
確かに、6年間駐在をしていて、尚且つ英語が堪能な駐在員というのは一定数存在する。しかし、それは「もともと幼少期に語学習得をする機会があったり、自発的に語学習得の努力を欠かさなかった人」に限る。
つまり言いたいのは、「6年間英語圏で英語を使って仕事をしていただけ」では、英語力の向上は大して見込めないということである。
そして何故この神話を大変たわけたと形容しているかと言えば、これは周りが「あの人は駐在していたから英語ができるだろう」と思うだけではなく、その駐在員自身も「私は英語ができる」と勘違いしてしまう節が多分にあるからである。まあ、仮にも数年間現地で英語を使って仕事をしていた、という認識があるわけだから無理もないかもしれないが。
そういう悲しい勘違いを起こしてしまう点では、非常に罪深いといってもいい。
駐在員のTOEICスコア
悲しい事に、弊社には
「何年間も現地で仕事をしていたのだから、私は英語ができる」
と短絡的な勘違いをしてしまっている駐在員がかなりおられるのだが、彼らには不思議な共通点がある。
それは、本人の自信とは不釣り合いにTOEICのスコアが低いという事である。
弊社では定期的にTOEIC IPを受講させられるので、定期的に自身の新しいスコアを確認することができる。そのスコアは本人の社内情報と紐づけされているらしく、マネージャー以上は閲覧できる。
筆者が駐在のため渡米した当初、現地でお会いした先輩駐在員の方から「TOEICが随分高いね」という驚かれた記憶が何度かある。当時の筆者のスコアは800ちょっとという非常に微妙な点数だったので、逆に少し驚いた記憶がある。これくらいのスコアの人は国内にもごろごろいるし、ましてや駐在員が話題にするほど高いスコアとは思えないからである。
そこで気になって少し調べてみたところ、どうやら弊社駐在員のTOEICスコアはだいたい500~600程度が大勢を占めているらしいことが判った。中には400代がちらほらいたほどだ。これはちょっと異常とも思える得点分布である。更には、EU諸国に駐在し英語を使うメンバーも似たような状況であった。くどいようだが、これはリスニング単独のスコアではなく合計スコアである。
ちなみに過去には満点近い人が2名ほどいたようだが、そのどちらも既に転職済みだった。
TOEICスコアが低い駐在員の言い分
そして筆者からしてこの得点分布以上に奇妙に思えたのが、
「TOEICでは英語力は測れない」
「TOEICに意味はない」
「スコアが低くたって英語力あるし」
という御仁がいかに多くおられたか、という事である。
確かにTOEICには種々指摘すべき点があり、完璧なテストとは全く言い難い。というより、完璧なテストなど存在し得ないと言った方が正しいか。
また、筆者はそもそもペーパーテストというものが大嫌いなので、ご多分に漏れずTOEICも嫌いである。社内TOEICも何かと理由をつけてサボっていた事が数度あるほどだ。
ただ、TOEICという極めてプレーンで平易な英語が展開されるテストにおいて、スコアが500だか600とかしか出ないということならば、少なくともその人は
英語をちゃんと聞けていないし、理解できてもいない
ということは明白である。
ネイティブスピーカーが受験すると大体950点前後は出てくるものと聞くし、英語力の高い人が受ければちゃんと高得点が出るテストなのである。そこへきて500点だの600点だのよくわからない点数を取ってしまうということは、少なくともどこかしらに問題があるということに他ならない。
TOEICスコアが低い駐在員の特徴
・自発的な英語の勉強は行っていない
・非常にブロークンな英語をお喋りになられる
・相手に対して聞き返しをしない
彼らの特徴は、筆者の知る限りでは恐らくこの3点に尽きる。
この際、自発的な語学習得はしていないという点は、今更指摘するまでもないだろう。大体は日常会話本を購入して何となくやっていたり、週に2回英会話をやっていたりという程度の、自発的な学習とは言えないレベルにとどまっている。
※ここでいう”自発的な学習”は、森沢洋介氏著の英語上達完全マップに記されているような、体系的かつ数年単位で継続される学習を指す。
彼らに共通しているのは「日常生活で英語を使っているんだから十分だろう」というスタンスである。
当然、これでは何年いようと英語が使えるようにはならない。
ブロークンな英語を話すことについても、今更疑義はない。発音や流暢さは言うに及ばず、文法についても学生時代の朧げな遺産を活用していると思われるので、自然とそういう喋り方になるわけである。
最後は筆者の体感ベースではあるが、F2Fでも電話会議でも、彼らは顧客と会話をしている際、滅多に聞き返しをしないように感じる。
筆者などはこれの正反対で、未だに聞き返しや確認をやりがちなので、「聞き返さずに一回ですべて理解できるとは、何と有能な事か」と嘆息していたものだが、そもそもTOEICのリスニングが理解できてないという前提が分かってしまえばその印象は変わる。現地の英語圏のネイティブですらしばしば聞き返しをすることを併せ考えれば、もはや答を出すまでもなかろうが。
要するに「出てきた単語をざっと聞いた感じ、相手はこういうことを言いたいのだろうな」という、事前の予測とか雰囲気に頼って相手の話を聞いているということである。仕事の場合は特にそうで、だいたいが特定の領域で限られた話題しか展開されないことが多く、実際この”雰囲気聞き”でもなんとかなってしまうということだ。
※ただ、これについては筆者もあまり人の事は言えない。顧客のエンジニアが商談の最中、何故か自分の趣味のヴィンテージカー集めについてGeekな話を始めた時は、かなりの部分が理解できなかった。事前の話題共有が全くできていないからであり、ということはつまり筆者自身も”雰囲気聞き”をしてしまっていたということである。ここについては猛省せねばなるまい。
TOEICで数値化することの意義
件の、TOEICなど意味がないと主張する先輩駐在員に対し、
「確かにTOEICでは英語力を測れませんな。が、例えばリスニングに関しては、どの程度聞けているかを客観的に見られるのでは?そういう点で、TOEICも多少は参考になるのではなかろうか?」
と遠回しに意見したところ、
「あろうことか駐在員に対して、TOEICのスコアなどという薄っぺらい話をするだと?笑われるぞ、お主。」
といった回答が返ってきた。その言い方の妙な語気の強さに違和感を覚えたものだが、後で人づてに彼のスコアが400代らしいと聞いた後に納得した。彼に関しては、TOEICに対して憎悪すら抱いているように見えた。
そこまで行ってしまうともはや後戻りできないかもしれないが、そうでなければ「時たまTOEICのような試験を受けて、客観的な分析ツールとして使ってみる」というスタンスくらいがいい塩梅なように思える。
先に挙げた森沢氏著の英語上達完全マップでも、「900点くらいまでは結構客観的に評価できるテスト」といったような記述があった。実際に筆者の場合、英語の勉強を続けている最中にふとTOEICを受けてみると、いつの間にやら900点を超えていたという感じであった。もちろんTOEICの対策などしたことはない(多分やっても5分と持たないだろうが)。
ある程度英語力が上がれば、点数も勝手についてくるように作られたテストということだろうから、ペースメーカーのような意識で受けてみる意義はあると感じる。
補足
意図したわけではないが、何やら弊社の駐在員の悪口ばかり書いてしまったように思うので、ひとつだけフォローをしておくことにする。
今回の話は駐在員の「英語力」にのみフォーカスした話で、普通に駐在しているだけでは英語力の向上は見込めないという結論に結び付けた。ゆえに自発的に英語の勉強をしない限り駐在員の英語力は大して伸びないのだが、よく言われる通り英語が出来る事と仕事ができることはイコールではない。
特に海外駐在員の場合、本人のメンタルの強さやマネジメントの出来が買われて駐在を打診された場合も多い。更に言うと、筆者の交流範囲で見る限りでは「英語が下手な駐在員であればあるほど、やけにメンタルが強い」ような気はする。
駐在員は大体において、本社の意向と現地スタッフの意見の板挟みになる事が一種仕事のようなところがある。よって駐在員の適正として見るならば、メンタルの強さは英語力よりも重要である。以前に役員の誰かが「海外に放っておいても死にそうにない奴を駐在員として送る」とうそぶいていたので、そもそも語学力などハナから期待していないということかもしれない。
そういう意味では、英語がいくら下手でも気にしないメンタルの持ち主が選ばれていると言っても過言ではないわけで、ならばこの大変たわけた罪深い神話が成り立つ構図にも溜飲が下がるというものかもしれない。
ちなみに、先に述べたTOEICも高く駐在員としても出来たらしい2名は、何故か帰国後すぐに、ベース給料の高い会社へ転職していった。一方で、ブロークンな英語を話す駐在員たちはいずれも居残っている。
こと弊社の状況を見るに、自らの能力を客観視できるかどうかというのは、人生に無視できない差異をもたらすようだ。