モノ魔リスト

モノ魔リスト

必要ではない。だがよく考えてみると、たしかに必要ではないようだが愛すべきモノたち。

隣のデスクの電話が鳴っている。代わりに取るべきか、それとも放っておくべきか。

この記事は10分かけても読めません。

 

 

他の記事でも散発的に述べた気がするが、筆者は現在日本企業に属しながら、米国内はミシガンの支社に勤務している。

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いわゆる海外赴任とかそういった、今日ではよくある類の形式である。

 

ただ、支社とは言いながらも小さな事務所がひとつあるだけで、メンバーも筆者含めて5名というかなり小規模のものである。

付け加えるなら、筆者以外はすべて現地採用のスタッフで構成されている。

 

 

更に興味深い事に全員出身がバラバラであったりもする。

一人は地元デトロイトの出身だが、残りはケニアイタリアのスタッフに加えて日本(筆者)、そしてマネージャーはインド出身という布陣である。

 

 

世界地図で見てもこれでもかというほどにばらけている。

 

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南米と豪州はいないが、結構な散らばり具合ではなかろうか。



 

 

日本人でも海外に駐在している諸兄姉は数多くおられるだろうし、現地人に囲まれて働いている諸兄姉も多いだろう。

だが、ここまでミックスされた組織も結構珍しいのではないかと、赴任当初は愚考したものだ。

 

 

 

そもそも赴任前は、ほぼ100%日本人スタッフのみで構成された、非常にドメスティックな環境にいた筆者である。

それこそ赴任当初は、環境の変化を大きく感じた事は想像に難くない。

 

 

その辺りの色々については、今後取り上げていきたいとも愚考しているところではある。

 

そして本日はその中から、

『電話に対するスタンス』

について取り上げたいと考える次第である。

 

 

 

 

 

 

ときに、会社において

「電話が鳴っていても取らない人」

がいたら、どう感じるであろうか。

※ここで言う「電話が鳴っている」というのは、自分のデスクの電話ではなく、近くの他人のデスクの電話の話である。

 

 

筆者の感覚としては、

『電話が鳴っていたら、3コール目ぐらいには取っておく』

というのが何とはなしにある。

 

 

というのも、新入社員の頃に受けたマナー研修なる珍妙な行事において、

 

「電話は3コール以内に取らねば万死に値する」

「取るのに4コール以上かかってしまったら、生前の自分とは決別したと言わんばかりの瞳で詫びを入れて取ること」

 

 と諭された記憶が薄っすらとあるからである。

 

 

更にダメ押しとばかりに、自分のデスクにある電話の受話器にも

「電話は3コール以内に取ること」

と書かれたテプラのシールがべったりと張ってあったような記憶もある。

もっともそれは邪魔だったので、即座に剥がしてしまったが。

 

 筆者のこの感覚が正しいか否かはさておき、少なくとも筆者がかなりドメスティックな会社に属していることは言うまでもなく伝わるのではないだろうか。

 

 

 

 

とはいえそんな筆者が、日本の会社員の代表だ、と言わんばかりの物言いは避けねばならなるまい。

よって、この辺の感覚についてDr. Googleにお伺いを立ててみる。

 

 

 

まずは、

『電話を取らない社員』

で検索してみる。

 

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電話を取らない社員に対して、

『先輩のイライラ』

『まさかの理屈』

『ブチ切れた先輩』

に始まり、

『なぜ電話を取らない?』

との疑問形、

果てには

『電話にも出れないヤ…』

と、恐らく物申し系の題名が目に飛び込んでくる。

 

 

 

 

 

続いて、

『絶対に何があっても電話を取らない社員』

で検索してみる。

 

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やはり似たような傾向で、

『なぜ電話を取らない若手社員』

『取らない人にイライラ』

『電話をとらない同僚(愚痴)』

といった具合である。

 

 

ちなみに他にもいくつか調べてみると、

『電話の取次ぎなんて時代遅れ』

『電話をかけてくるあんぽんたんとは仕事をするな』

のような主張も多少見られた。

 

 

 

しかし大勢を占めているのは、

『電話を取らない人にイライラする』

つまり、

『電話は取るもの』

といった風潮であると感じられる。

 

 

 

何コール目で取るべきか?といった具体的なラインは環境にもよるだろう。

がともかく、概してこの様な認識の方が多いのではなかろうか、と愚考するに至ったわけである。

 

かく言う筆者も、電話が鳴っているのに一向に取ろうとしない人を見かけると

(そこは貴殿、取るべきではないかと思うが)

と感じずにはいられない性質であるから、ある種この結果は予期したものと言える。

 

 

 

 

 

 

それ故、最初に米国で勤務し始めたときには驚愕したものである。

 

 

なにせ事務所の電話がいくら鳴ろうとも、

 

それが自分の電話で無ければ、まず取らない

 

のである。

 

 

 

 

 

再三申し上げるようだが、日本で働く時の常識で考えれば、鳴り続ける電話を無視し続けるとなれば、ある意味罪悪感すら感じる人すらいるだろう。

 

何かのお店、例えば小売店とかに訪れた時、奥の事務所か何かで電話が鳴っていると(あー取りたい)となるような諸兄姉もいるのではなかろうか。

もしおられたとするならば奇遇であるが、筆者もそのクチである。

 

 

 

そんな筆者からすると、誰も彼も自分自身の電話以外には一切の興味を持っていない姿を目の当たりにした日には、それはもう異質に感じたものだ。

 

例えば電話が鳴り終えた10秒後くらいに戻ってきたスタッフがいたとしよう。

そういう場合には、周りのスタッフが「なんか電話鳴ってたよ」と伝える程度のことはたまにある。

だが最大限でその程度で、それも毎回あるわけでもない。

 

 

ちなみに本人が留守であろうと、全く頓着しない。

 

例えば今現在、筆者の事務所のマネージャーは3週間ほどの休暇をとっているが、結構頻繁に電話が鳴っているのを聞く。

恐らく履歴がえらいことになっているだろうが、だからといって特に何か策を弄するわけでもない。

ただひたすらに放置である。

 

 

これは筆者の事務所だけの話かと思いきや、聞いた限りでは他の事業所でも大体似たような状況のようだ。

 

 

また、筆者の顧客の中にも似たような状況の人がいる。

それなりに重要かつ喫緊のメールに返信がなく、電話もどうやらつながらないという状況である。

 

何事かと思い、同じチームの他のメンバーに面会した時に訊ねてみれば、

「ああ、彼は来週いっぱいまで休暇だよ」

というコメントを貰うのもしばしばである。

 

 

そのあたりを見ると、この事象は筆者のいる会社だけに限った話ではなく、少なくともこのあたり(ミシガン)のメーカー界隈では一般的なのかもしれない。(同じアメリカでも、他の業界や地域では異なる可能性があることは、いかに辺境ブログとは言え指摘しておかねばなるまい。)

 

 

 

 

 

 

なにはともあれ、筆者の現環境では他人の電話を取る必要は一切ないわけである。

 

 

 

 

そして更に驚きなのが、そんな状態にあっても

 

仕事は何ら問題なく回っている

 

ということである。

 

 

 

 

 

 

一体全体、これはどうしたことだろうか。

 

 

日本の事務所においては、電話が取った都度メモなどを取って

『折返しお電話を云々』

とか

『伝言を頂戴何某』

などといった作業を行い、必死に電話を取り次いでいたはずではないか。

内線ならばまだしも、外線ならばそのプライオリティは更に上がるはず。

 

 

それが「電話?別に放置してもいいじゃない」などと言った体たらくで済まされていいのだろうか。

 

もっと言うと、この状況の違いはそもそもどこから来るのだろうか。

 

 

 

筆者が個人的に愚考するに、この特質の違いはおよそ、以下の2つの要素からくることなのではないかと憶測するに至った。

 

 それが、

1. 電話の機能的な側面

2. 文化的な側面

 である。

 

 

 

 

 

電話の機能的な側面

 

まず1つの理由として、デスクの電話の機能面に関する見解がある。

これは筆者の会社だけかもしれないが、日本のデスク電話というのはこの手のタイプの妙に懐古主義なものばかりだった。

 

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まさに電話である。

もちろん電話としての性能は満たしており、電話の発信/受信と、残るは保留転送と、一通りの事はできる。

ただし、モニターが付いているわけでもないので、着信履歴の表示とかボイスメッセージの記録とか、その手の機能は一切ない。

 

また、課単位あるいはデスクの島単位で外線電話というのが設定されていて、客先から着信があったときにはまずその外線電話が鳴り、それを受けた人が、客先の要望に応じた取次先を都度探すことになる。

そのため、取次という行為が必要になってくるのである。

 

 

 

 

 

ちなみに電話に関しては以前、筆者の会社でこんな一幕があった。

 

 

事の始まりは、B課のメンバーによる

『取り次ぐ電話の大部分がA課宛てなのに、それを取り次いでいるのは殆どB課の人間ばかりではないか。自分の課の電話くらいは自分で取り次いでくれ。』

という物言いだった。

 

 

また時を同じくして、とある管理職から

『最近外線の電話の取次ぎが遅い。若手は最低でも3コール目までには取るべきだ。これは会社のルールというよりは、社会人としての常識ではなかろうか。』

との指摘があった。

 

 

これらを受けて、それぞれの課宛の電話はその課のメンバーの電話でしか拾えないようになり、また外線がかかってきたときにわかりやすいよう、外線担当電話の着信音のみ最大に引き上げられた。

このために業者を読んで、電話線か何かの工事まで行ったという。

 

ともあれ晴れて皆の要望が通ったというわけで、一件落着である。

 

 

 

誰もがそう思ったが、この話には続きがある。

 

工事が完了した2週間後くらいに、今度は別のメンバーから物言いがついたというのである。

 

 

なんでも、

『A課の電話が鳴っても、全員離席しているから誰もとらないではないか。最大音量で鳴り続けるものだからたまったものじゃない。結局A課の席まで行って取るはめになる。せめてうちの課からでも拾えるように再工事してくれ。』

という話だったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

やや話が逸れたが、対する米国事務所の電話はこれである。

 

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ポストイットで醜く隠されている部分はモニタである。


通常の発信/受信はもちろんのこと、(撮影用にポストイットで塞いでいてわかりづらいが) モニタがついており、そこから電話番号の登録一覧を選択してボタン一つで発信が可能である。

また同様に発信/着信履歴の表示からボイスメッセージの再生も可能で、色々カスタマイズもできるようだ。

更に外線番号も1台1台設定されているので、例えば名刺に連絡先を書いておいて顧客に渡しておくことも可能である。

これにより、担当者は顧客からダイレクトに着信を受けることも容易である。(そう考えると、いつでもかかってくる可能性があるということになるが)

 

 

 

例えばミーティングで席を外していて、返ってきたときにCALL LOGのボタンがピカピカしていたら、それを押せば『いつ、だれから着信があったか』というのはすぐにわかる。

ボイスメッセージを残す人もそれなりにいるので、それを聞けば要件も大体わかる。

 

 

 

ある日のマネージャーのように「ボイスメッセージが48個も入ってるぞ!?」といった事も稀にあるものの、つまるところ、機能的な側面から言って『他人がメモを取って教えてあげる必要性』が、この環境ではそもそもないということである。

 

付け加えると、日本の電話よりも全体的に音量が小さいように思う。

そもそも自分だけが聞こえればいいのだから、大きくする必要もないということか。

 

 

 

 

 

 

 文化的な側面

 

一つ目の理由と比較すると一気に抽象的な理由になってしまうが、やはり文化的な側面は欠かせない事項になるだろう。

 

 

何を隠そう筆者は、赴任当初にこの電話対応の違いについてどう対処していいかわからず、マネージャーに聞いてみたものである。

 

「誰かの離席中に電話がかかってきたらどうすべきか?」と。

 

 

 

するとマネージャーはやや怪訝そうな面持ちで、

 

「え?その人が返ってきた時に対応するだろ?」

 

 と返してきたのである。

 

 

 

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この返答を聞いた際、筆者はこんな表情であったかもしれない。

 

 

 

 

 

郷に入っては郷に従えとは言ったもので、察しの悪い筆者ですらこの時『郷』を察したわけである。

 

要するに (少なくとも今筆者のいる事務所では)

自分の仕事は自分の仕事だし、他人の仕事は他人の仕事だ

ということなのだろう。

 

したがってそもそも『他人にかかってきた電話をどうこうする』という事自体が頭にないと思われる。

 

 

そう考えれば何もおかしいことはない。

むしろ、これは慣れてしまえば大変合理的なようにすら思える。

そうしていつしか筆者も、今は自分の着信音以外には (殆ど) 反応することなく、自らの業務を行うようになっていったわけである。

 

 

 

 

 

 

以上2つの側面から、日本と米国 (いずれも筆者の経験上) の電話対応の特質について愚考を重ねてみた。

 

ただ一応言及しておきたいのは、

『どちらが正義でどちらが悪』

あるいは

『どちらが優れていてどちらが劣っている』

という高尚な話をぶちあげたいわけではないという事である。

 

 

というのも、それぞれのスタイルにはそれぞれ理由があるはずで、よって一概に断ずることはできないのでは、という事である。

 

 

 

 

現に、日本の電話対応に関する反応を探しているうち、このような興味深い話も見つけたほどだ。

blog.tinect.jp

記事を拝読してみると、なるほどこれは米国では真似できない方法と感じた。

しかし日本のとある企業では、実際にこれで社内評価が上がったというのだ。

実際そういう世界があったとしても、特に不思議ではない。

 

よって、絶対的にどちらが正しいという事は導き出せそうにない、と愚考するに至ったわけである。そもそも、この手の高尚な論議を行うには筆者のスループットが明確に足りない。

 

 

 

 

結局のところ、

『何が正義で何が悪なのか』

ということを断定して行動する意志の強さよりも、

『状況を見て対応できる柔軟さ』

の方が求められるという事では、と曖昧かつ無難に愚考を終える筆者である。

 

Raretsu